至が合唱部を辞めたのを知ったのは、至が部活を辞めてから1年以上も経ってからだった。たまたま他のクラスの友達から聞いた。
 目立つタイプではなかったけれど、ちょっと上手だったとその子は言っていた。ちゃんと全体の音を聞き分けて自分の声量を調整するんだって。
「ふぅん」
 正直至が褒められたところを初めて聞いたから、僕は他人事のように勿体無いなぁと思った。
 外は雨が降っている。


に が い 、 と あ ま っ た る く 呟 い た 君 を 殺 し て あ げ よ う


 雨足こそ弱かったものの霧みたいな雨はいつまでも続いていた。グラウンドの土が水を吸って深いこげ茶色に変わっている。ひんやりと冷たい空気は湿気っていて、4月だってことをつい忘れてしまいそうになる。
 放課後、至は音楽室を避けるようにして帰っていった。僕はそれをゆるやかに追いかける。
「至!」
「紀伊……」
 相変わらず破棄のないやわらかい声。僕は溜息を抑えこんだ。
「どうしたの?今日は部活ないの?」
「いや……辞めたんだ」
「えー?なんで?勿体無いじゃん」
 僕は何も知らない振りをして笑う。至の表情が固まった。
 遠戚とは言えこうやって(一方的に)遠慮なく話が出来るのは、親同士の仲が良くて昔からよく遊んでいたからかもしれないし、腹の内に潜むほの暗さが似ているからかもしれなかった。僕はこの空気が嫌いじゃない。
「ねぇ、なんで部活辞めたの」
 長めの前髪の隙間から困惑した瞳が左右する。僕はそれを黙って見つめていた。
 至が返事をする前にポケットの中の携帯電話が鳴ってそれを妨げた。自然と会話が止まって、僕は申し合わせたように携帯電話を開く。
 見たことないアドレスからのメールだった。

 『貴方のクラスは今年、プログラムに選ばれます』、そんな件名で始まったメールは政府のサーバーをハッキングをした大学生がこのクラスでプログラムが行われることを知って注意喚起するような内容だった。ご丁寧にメールの最後には長いURLがついてる。
「ばっかじゃないの」
 その内容を読んで思わず素が出る。至が少しだけぎょっとしたのが見えた。
「何」
「迷惑メール」
 ピンクの携帯を差し出すと至は表情を変えずにそれを読んだ。
「多分これURLに飛ぶと個人情報が漏れるとか勝手に携帯のクレジットモードが作動しちゃうとかそんなんでしょ」
 吐き捨てるように呟くと至は静かに溜息をついた。
「あー……プログラムに巻き込まれて死にたい」
 世の中のどれくらいの中学生がそう言って死なないんだろう。当たる可能性の低いプログラムで死ぬよりも、トラックに撥ねられて死ぬ方がまだ現実味がある。
 死ねばいいよ。辛うじてその言葉は飲み込んだ。

「そんなに死にたいなら、プログラムなんか待ってないで死ねば?」
 薄く笑った声が冷えた廊下に反射した。英だ。
「人はいつでも死ぬタイミングを選べる。死にたいと思ったときに死ねばいいし生きたいと思ったらまたやり直せばいい」
 最近英とよくいるクリスチャンの影響か、英はときどき思想家みたいな馬鹿なことを言う。
「何に拘っているのか宮古よくわかんないけれど、お前は 現実から逃げているだけなんじゃないの?」
 至は何か言いたげに口を開いたけれど、結局何も言わなかった。驚いて何も言い返せないというよりは英の口が悪いのを知ってて無駄な反論は避けたってところだと思う。賢明な判断だ。
「英、部活は?」
「宮古やってないよ」
「ふぅん」
 口先だけで返事する。てっきり写真部にでも入ったのかと思っていた。
「なんで」
「たまにカメラ持ってふらふらしているから」
 正確にはカメラ持った女の子と、ふらふらしてるから。
「あぁ」
 英は否定も肯定もしなかった。僕は英の話半分にさっきのメールを削除する。至はただ黙ってそれを見ていた。

 メールを消しても胸が悪くなるような嫌な感じが、雨に流れることなくいつまでもそこに残っていた。


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