人が死んでしまうことが嫌だった。だからと言って別に不老不死を望んでいるわけではない。長生きして天寿を全うできた末の死なら構わないけれど、それがもし怪我や病気に阻まれてしまうのならば治したい。だから、僕は物心ついたときから医者になりたいと思っていた。
 それなのに、プログラムで僕は誰一人救うこともできず自分の身すら守ることすらできなかった。その代わり誰かを痛めつけることも誰かに傷つけられることもなかった。

 僕はただ、プログラムで起こったことの全てを見ていた。天井も壁も何もない真っ白い部屋に唯一あるモニターが残酷な真実を一方的に告げた。
 担当教官に刃向かった人達も、教室から出て行かない選択をした人達も、死なないようにと同盟を結んだ人達も、担当教官のボタン一つで首輪を爆破された人達も、裏切られた人達も、裏切った人達も、全員を殺そうとした人達も、他人を殺したくないからと自分を殺めた人達も、「殺せ」と言った人も、「殺さないで」と言った人も、最後にはみんな死んでいった。
 僕はみんなが死ぬ瞬間をはっきりと覚えている。


ハ ッ ピ ー エ ン ド の 対 価


 プログラムから帰ってきて普段の日常に戻ることを強制された僕達は自分達のことで手一杯で、教室全体が歪に変化していることなんかに気づきやしなかった。みんな自分の家族や手近な友人たちのことでいっぱいいっぱいで、周りを見る余裕なんてない。それは誰も彼も同じだ。

 6月中旬、夏が来たんじゃないかと錯覚するくらい暑い日曜日だった。それなのに、どういうわけだかファストフード店はエアコンの利きが悪い。昼食時を少し過ぎても店内は程よく人が溢れかえっていて、溶けるんじゃないかと思うほど蒸し暑かった。
 店員の無駄に明るい「いらっしゃいませー」の声とともに、「あっ」と聞き覚えのある声が通り過ぎる。
「羽鳥じゃん、珍しい」
「轟くん……」
「ここ座っていいか?……って、おっ、あっちにいるの坂井と佐次じゃねーか」
「轟くん、羽鳥くん。久しぶりだね」
 偶然顔を合わせた僕達は砂鉄が磁石に吸い付くのと同じように自然と一つのテーブルに集まった。それは僕達がただの顔見知りだからではなく、遠くて近い過去に同じバーチャル体験をともにしているからだと推測する。
 初めに座っていた僕の隣に轟くんが、向かいにはお揃いの紙袋を持った佐次さんと坂井さんが並んで座った。僕の真正面に座る佐次さんは目が合うとやわらかく笑った。少なくとも表面上は誰も何も変わっていないように見えた。

「そっちは元気そうじゃねーか」
 轟くんがにかっと笑った。授業も真面目に聞いていなさそうだし服装もかなり気崩しているし先生への口の利き方とか怖くて不良っぽい感じが前は凄く苦手だったけれど、プログラムで僕のことを心配してくれたり最期まで意思を持ってプログラムに乗らなかった彼を見て印象が随分変わった。
 佐次さんが申し訳なさそうに笑って、助けを求めるように一瞬だけ坂井さんの方を見た。
「ええっと、轟くんたちの方は……その、大丈夫?」
 歯切れの悪い言い方がもどかしい。心なしかアイスティーを持つ手が震えているようにも見えた。僕と轟くんは思わず顔を見合わせたけれど、なんのことだかさっぱりわからない。低い声で坂井さんが続けた。
「うちのクラスは……もう3人も死んでるんだ。プログラムが終わってから」
 隣の席で轟くんが息を呑んだのが聞こえた。
「嘘、だろ……。だって、俺たち生きて帰ってきたじゃねーか……!」
「……それも事実だがこれも事実だ。そして恐らくだけれど、全員自殺だという話も聞いている」
 突然明かされた事実に僕は言葉すら出なかった。自殺?それも3人も?折角プログラムがバーチャルで生還したっていうのに、どうして?どうして?
「遺書も見つかっていないし、私たちもよくわからないけれど……」
「遺書とかそういう問題じゃねーだろ!」
 轟くんの怒声に女子が怯んだ。苛立ちを隠せない様子の轟くんは乱暴に頭を掻いた。
「……ワリ」
「いや、こちらこそ」
「……誰が、死んじゃったんです?」
「……遊佐瑞ちゃんと雷優くんと岬佑護くん」
 僕の問いに震えた声で佐次さんが答えた。目には涙が溜まっていて今にも泣き出しそうなほど顔が赤くなっている。坂井さんが黙って佐次さんの頭を撫でて胸元に抱き寄せた。
 自殺したという3人のことを僕はちゃんと覚えている。みんな最後の放送ぎりぎりまで生き残って、みんな、誰かを殺していた。血に塗れた彼らを思い出して僕は思わず頭を振った。
 人を殺した罪悪感で自殺したのだろうか。その可能性も考えたけれど頭はすぐにそれを否定した。少なくともモニター越しの遊佐さんと雷くんは人を殺すのに躊躇いなんてないように見えた。尚更訳が解らない。
 誰も何も喋らなかった。重苦しい空気が湿度の高い熱気に混ざり込む。

「俺たちの学校には、不登校が出た」
 暫くして、掠れた声で轟くんが言った。
「轟くん……!」
「んだよ。言わなきゃ現実が掴めないだろ。こっちもそっちも」
 無意識のうちに止めようとした僕はこの事実を明るみにすることで現実のものにしたくなかったのかもしれない。あの濁った空気の漂う教室を否定したかったのかもしれない。
「馬鹿みたいに明るかった教室も、ちょっとぎくしゃくしている」
 言葉にすると単純で冗談みたいな話だった。だってあの一組が、だよ?先生にだって止められないほどのお調子者が揃った明るくて一際賑やかな楽しいクラスだったのに。
 その元凶になった仮想戦闘体験記録を、僕は最初から最後まで見ていた。目が離せなかった。全部覚えている。今でも数時間前のことのように鮮やかに蘇る。
 ふとした拍子に何か一つでも思い出してしまうと、記憶が溢れるように次々と浮かんで来て、強烈な眩暈になって僕を襲う。
「……っうう」
 もうだめ。これ以上考えると息ができなくなる。
「……おい、羽鳥?」
 轟くんの声に僕はもう反応できない。

 プログラムから帰ってきた僕の体には二つの変化が訪れていた。
 一つ目は治ったと思っていた喘息が再発したこと。いつもなら大丈夫だと思っていた埃や軽いストレスでも息が苦しくなるようになってしまった。立っていることすらままならなくて、その場に座り込んでしまうこともしばしばある。
 もう一つは、プログラムに参加した人を見ると、その人の最期を思い出すようになったこと。これはある意味喘息なんかよりも全然苦しい。
「羽鳥っ!」
 轟くんの必死そうな声が聞こえる。彼は見せしめで殺された僕を庇護して、氷鬼を拒否して、最期はあの担当教官に首輪を爆破された。
「羽鳥くん大丈夫?」
「羽鳥……」
 佐次さんと坂井さんが心配そうに僕の顔を覗き込んだ。二人はプログラムで轟くんと一緒に神社に集まり、プログラムに乗らない人達を集めようとして担当教官に首輪を爆破された。薄暗い神社、悲鳴、それと固く繋がれた手。今でもその情景を思い出すと鳥肌が立つ。

「……ごめんね、もう大丈夫」
 僕は死体になった彼らから目を背けて無理矢理笑顔を作った。
 呻るような夏の熱気に嘔気が混じって気分が悪い。
 ねぇ、殺して、殺してよ。青井先生。
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