冬の寒い日の朝に見る淡い藍色の下に薄いピンク色と白が広がるあの時間の空の色が好きだった。すうと息を吐くと熱を持った蒸気が静かに逃げていった。頬が寒くてびりびりと麻酔が効いたみたいに痛い。
 右見て左見て、もう一度右見る。車は来ない。
 信号を渡らないで灰色と白のボーダーラインをただ、ぼんやりと眺めていた。白、灰、白、灰。小学校低学年くらいまでは信号機の白線だけを踏んで渡る儀式が自分の中で流行っていたような気がする。緑、黄色、赤、緑。何度も信号機の色が変わる。それをただ、ぼんやりと見ていた。
「犬飼……!」
 ドスの低い声は真っ直ぐに僕のところに届いた。彼は鼻と頬と耳まで真っ赤にさせて、細い目はさらに細く、刃物のように鋭くなっていた。
「あぁ、井角。待っていたよ」
「お前……!」
 井角は酷く怒っているように見えた。僕らの間には赤になった信号機が横たわっていたけれど、彼はその色を無視して近づくなり僕の胸ぐらを掴んだ。

「真田を返せよ」
 震える声は確かに熱を帯びていて、僕は場違いにもこいつはこんなに夢中になれるんだなと思って、少しいいなぁって思った。冷えきった手足に反して絞まる首が熱い。
「やだ、って言ったら?」
「返せ」
 間を置かず彼は唇を動かした。僕は寒さで色を失った唇よりも今にも泣きそうな戸惑う瞳ばかり見つめていた。
「……首元が痛いのでそろそろ離してください」
 井角はそれに答えなかったけれどすぐに両手を離してくれた。手が早く頭も悪そうだが、僕みたいにひねくれていない素直な子だ。

「お前、あいつに何したんだよ」
「特に何も」
「じゃあ、なんで」
「『いまの貴方がいいです』と言ったんです。『付き合ってください』と」
「手を出したんじゃないか!」
 口を出しただけだと言ったら井角にぎっと睨まれた。間違ってはいない、僕は真田さんに口を出しただけだ。

「君は、世界が止まる瞬間を邪魔してはいけない」
 簡単に同意をしてはくれないだろうとは思っていたけれど、案の定彼は信じられないというような非難がましい目で僕のことを見ていた。
「お前のせいだ……。あいつが死んだのはお前のせいだ!」
 青を忘れたあの子は赤に化ける。赤赤赤、一瞬だけ。世界中の信号機が赤になって、時が止まる。冷えた風に促されてすっかり明けきった空を見上げると、透明な水色がどこまでも高く広がっていた。彼女もこんな日に死ねば良かったのに。
 天気が悪く風の強い午後、僕が見守る中で真田さんはビルの屋上から身を投げた。


きみのあいにあいにいくから あたしのこいをこいにころして


「真田さんは殺してはいませんが、死ぬまでの彼女は、君のものじゃない。僕のものです」
 口に出して自覚すると、嬉しくて唇がむずむずした。子供たちが雪で遊びながら春を待つように、僕は大人しく死を待つことはできない。絶望と悲しみに満ちた最期の傍にいたかった。
「真田……」
 井角が呻くように呟いた言葉は大きな体には似合わないほど小さすぎて、なんだか滑稽だった。

 青信号が狂ったみたい点滅を繰り返し、一向に信号を渡ろうとしない歩行者に注意を促している。
 短い時間を瞬く青はもがくように浅く息を繰り返しているみたいで、僕の心臓は優越感にひたひたと浸って満たされる。
 ほら、また赤が来るよ。
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