今時、中学3年にもなって将来の夢を書かせるのか。 始業式が終わったばかりのホームルームで渡された真っ白な紙を僕は黙って見つめた。それは名前、誕生日、部活、出身小学校、趣味などさして重要でない個人情報を晒して互いの交流を計ろうとする目的があるようだった。今年の担任の先生は心が若い。 まだ少し見慣れないクラスメイト達は悩んだり友達と談笑したりしながらその空白を埋めているようだった。僕は君達のように真っ白くは生きられないんだよ、心の中でそっと呟く。 僕は少しだけ悩んだ末、その空欄に『飛行機』と書いて提出した。 正 し さ と 心 中 し た い ん だ 日の昇らない午後の廊下は薄暗く、ひんやりとした冷たさが漂っていた。僕は階段の一番上段に腰を下ろしてストローにふーっと息を吹いてたくさんの泡が飛んでいくのを見送った。天気が良ければ光を反射してとても綺麗なものになっていただろうに、勿体無いなぁとぼんやりと思う。 「妻木……」 声のした方を向くと階段の下に一人のクラスメイトがいた。僕は思わずストローと紙コップを床に置いた。 「あぁ神崎くんか」 神崎比呂。成績優秀で自分にも他人にも厳しい絵に描いたような優等生だ。真面目でお節介なタイプの彼がクラスメイトの服装を注意しているのを何度も見たことがある。 「あぁ、じゃない!学校でシャボン玉なんかするな!」 クラスメイトとはいえ、殆ど口を利いたこともない間柄に開口一番怒鳴りつける彼もまた、南条くんとは違った意味で興味深い。 「君は服装の乱れだけを気にするのかと思っていたよ」 「学校でシャボン玉している奴が気にならない方がおかしい」 「そうか……じゃあ、君は人が正しいことをしていなくても許されるのが気に食わないのかい?」 「は?」 そう言った彼の前で僕はネクタイを緩めてみせた。 「何のつもりだ」 神崎くんは眉間にシワを寄せただけで不機嫌そうな表情を崩さない。僕はワイシャツのボタンに手をかけて一つ二つ外して笑ってみせた。階段を一段下りると階段を上がりかけていた彼の足が止まった。 「君は規則にだけ縛られて生きていくのかい?」 もう一段、また一段と下って、たじろぐ彼に詰め寄る。 「君には主体性がないのかと聞いているんだ」 「……俺にだって感情があるし、善悪の判別くらいつく」 神崎くんは呆れたように溜息をついた。 「ただ、規則と安全性は相関するんだ。だから、規則は守らなければならない」 「ふむ……?」 「例えば、校則は学校に在籍する生徒・教師、生徒の家族含めてお互いが安全に暮らせるためにあるから、俺たちはそれぞれが安全に過ごせる代償に共通のルールを作って守っている」 「なるほど……君は歩く教科書のようだな」 僕は素直に感心したのだが、彼はそれを皮肉ととったのかふいと顔を背けた。 「お前は鳥のような奴だな」 「そう見えるかい?」 でも打ち落とされるのはごめんだよ。僕は内心付け加える。 「そろそろ行かないと午後の公演が始まる」 「まだ15分もあるじゃないか」 午後からは特別授業でわざわざ外部から講師を招いて、プログラムに関する云々や今後の国の自衛のあり方云々について教鞭を執るらしい。内容が内容のために南条くんの精神状態が気になるところだ。 「……君はプログラムについて、どう思う?」 「あんなもの間違ってるに決まってる」 神崎くんは短く言い放った。僕も「そうだね」と短く返す。 「わざわざ貴重な授業時間を割いて学ぶことでもない」 「それは誰かさんの長話よりも授業の方が意義があると言うことだね?」 「それ以外に何がある」 神崎くんの言葉からはまるで危機感が感じられなかった。 僕は小さく溜息をついたけれども、そのとき聞こえてきた足音に容易くかき消されて彼が僕の感情の変化に気づくことはなかった。僕らは申し合わせたようにその音の先を見つめる。 「神崎くーん!先生がね、三者面談の日付について相談あるって……て?」 二人に見つめられたお団子頭の小さな女の子は僕達の奇妙な様子に首を傾げた。 「わかった、今行く。……あ、遊佐、お前ならどう解く?」 「うん?」 プログラムの可否について、そう言った神崎くんに遊佐さんがあははっと笑った。数学が得意な彼女には簡単な計算式だったのかもしれない。 「変数だらけじゃない。見る方向によってプラスにもマイナスにもなる」 素直な意見なのか、敢えて濁した判断を言ったのかは定かではないが、解釈の仕方によってどうとでも取れる言い方だった。 「情緒的に言うならプログラムなんてやりたくないけどねー。守里ちゃんは?」 僕は彼らとの差異をはっきりと認識していた。 「僕達にプログラムなんて必要ない」 この国は間違っている。 同じ国の中で同じ年齢の他人がどんなに酷い目に逢おうと、この国がどんなに杜撰に運営されていようと、辛いことも悲しいことも間違っていることも、それがどんなに大事であっても自分に影響のないものはみな小事となる。終いには小言、説教、頭痛、月に一度の小さな腹痛にすら全神経を注ぎ、まるで自分が世界の中心になったかの如く泣いたり笑ったり感情を主張するようになってしまう。 そんな僕達がもしもプログラムになんて巻き込まれたら、きっと自分のことしか考えられない。浅はかな僕達は最期まで自分達だけのために戦うのだろう。 「じゃあプログラムがなくなれば、この国が変わるの?」 不思議そうな顔で遊佐さんが尋ねた。 「いや、変わらない」 だからこそ、僕は誰にも負けない人になる必要がある。 |