いつもより早く目が覚めて、いつもより早く家を出た。
 僕は朝が好きだ。朝の空気はまるで洗濯したてのようにさっぱりとしていて気持ちがいい。
 大きな影を躍らせて3年目になる通学路を進む。太陽がきらきらしていて眩しい。道端にタンポポの群れが咲いていたので一つ一つ丁寧に踏み潰しながら歩いた。

 案の定学校に早く着き過ぎてしまい教室に向かってはみたけれどやっぱり誰もいなかった。図書館になら誰かいるかもって期待して行ってみたのに、早朝の図書館には職員すらいなかった。
「なんだーつまんなーい」
「おい、誰だよ図書館で喋るな……って雷か」
 そんなこと言ってたら本棚の影から流羽くんが出てきてびっくりした。浅黒い肌に鮮やかな金髪、たまに女装とかするし、ついでに父親は反逆者らしいし、彼は悪い意味でよく目立っている。
「珍しいね。お前は体育館の住人なんだと思っていたよ」
「たまには本でも読んでみようかな、なんて」
 けれど、正直本を読む習慣はそれほどない。押し付けがましい他人の思考を覗くよりも、絵を描いたり考え事をしているほうが僕は楽しい。
 僕の考えを知らずして、流羽くんは満足そうに頷いた。
「本はいいよ、本は俺たちをいつでも新しい世界へ導いてくれる」
 彼はそう言ったけれど、四方八方あらゆる種類の本で埋め尽くされた図書館は異様で、その一つ一つが本当に新しい世界に繋がる媒体だとしたらこの世界は数多のバーチャルの波に飲まれてすぐに現実を失うだろう。古い紙が醸し出す独特の臭いが図書館の異質さを更に掻き立てる。
「それに比べて新聞はクソだな、クソ」
 吐き捨てるように流羽くんが言ったけれど、洗脳という観点から述べると僕にはどちらも同じように見えた。けれども彼の手に持っていた新聞の見出しから今年度のプログラムの開始を祝うタイトルを発見して、なるほどと勝手に解釈する。
 そういえば、ニュースで今年度初めてのプログラムが終わったって言ってたっけ。
「今年も始まったかぁ」
 僕たちにとって、自分の身に起こらないプログラムは他所の地域で起こる台風とか地震とか豪雪とか、その辺の自然災害と同様に当たり前のように存在している。また台風がやってきたね、また地震が起こったねとかそんなレベルだ。外国にはプログラムが存在しない国もあるみたいだけれど、僕はそんな国の方が信じられなかった。

「……ねぇ、もしも雷がプログラムに選ばれたら何をする?」
 流羽くんが意地悪く笑った。このくらいの年齢になるとよくあるのが、プログラムに選ばれたら云々っていう話だ。特に中3にあがった今の時期、クラスメイト同士でもこういう話題は珍しくない。
「……殺すよ?」
 僕は気づかないふりをして笑う。
 流羽くんはプログラムに選ばれたらどうなるか(How)じゃなくて何をするか(What)と聞いてきた。受身の状態で自分の最期がどうなるかよりもプログラムで能動的に何をするかを尋ねてきた。こう見えて彼は実は頭がいい。
「……ふーん」
 案の定彼は何か言いたそうだったけれど、じいっと僕を見つめただけで何も言わなかった。
 僕はわけがわからなくなって思わず聞き返した。
「君はどうするんだい?」
「俺は殺さないよ」
 流羽くんはおどけたように両手を上げた。それなのにしっかりとした口調で続ける。
「俺は生き残るつもりなんかない。大切な人を守って、死ぬ」
 それはみんながよく語るありきたりな理想論や願望なんかではなく、命を懸けた永遠の誓いのように聞こえた。
 僕はそれを黙って聞いていた。この人はたまに宗教みたいなことを言う。


舞 台 裏 の 犯 行 声 明


「君たちは馬鹿かなぁ」
 今までなかった女の子の声に驚いて思わず振り返ると遊佐さんがにこにこ笑っていた。どこにいたんだろう。小さいからかよくわからなかった。
「ゆ、遊佐さんっ?!」
 派手に驚いた流羽くんの声に、両手にたくさんの本を抱えた遊佐さんがしぃーっと声を落とした。人がいなくても図書館は大声厳禁らしい。
「楽しい話もいいとこだけど、もうそろそろ図書館を出ないと。朝礼に間に合わなくなるんじゃない?」
 遊佐さんに言われて時計を見る。予鈴までもうそんなに時間がなかった。
「げっ、俺日直だった!」
 流羽くんが慌てて図書館を飛び出した。おもしろいから僕も一緒になって追いかける。

「雷くん、」
 図書館を出る直前、遊佐さんが何か言おうとしていたけれど、僕はその言葉を最後まで聞かなかった。
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