「ねぇ、聞いてロビンちゃん」
 左手に向かって話しかける。教室には誰もいない。話し相手はパペット人形のロビンちゃんだ。
「『わんっ』」
 ロビンちゃんも頷いて聞いていたから、話を続けることにした。外は少しだけ風が吹いていたけれど、風はこっちまでは来なくて全然涼しくなかった。今日も暑いなぁ。
「トイロね、気になることがあるんだ」
 最近気になる女の子。転校してきたばかりのクラスメイト。
 その子は五色市の学校に通っていたそうだ。あの日は夏の特別暑い日で、二人の転校生がやって来るという噂はすぐに広まって蒸し暑い教室は既にお祭りモードだった。
 こんな田舎村に、こんな時期に転校生なんて滅多に来ない。トイロはより鮮明に思い出すために、軽く目を閉じる。
 転校生の女の子、鈴樹深也について考える。


オ レ ン ジ レ ア チ ー ズ ケ ー キ の 憂 鬱


 第一印象は都会の可愛い女の子だった。
 訛の少なくて穏やかな話し方は上品で、バレッタとかポーチとかさりげない小物が可愛いと思った。同級生なのに少しだけ大人ぽくて、早く仲良くなっていろんな話をしてみたかった。
「あっいいよ、私がやってあげる」
 数日も見ているとそれがミヤちゃんの口癖なんだと解った。例えば重そうな荷物を運んでいる子だったり、宿題を忘れちゃった人だったり、先生に面倒な頼まれごとを押し付けられた人だったり、困っている人の傍にはいつもミヤちゃんがいた。
「ミヤちゃんってとっても優しいんだね!」
 トイロがそう言うとミヤちゃんはいつも「そんなことないよ」って、控えめに笑った。これもミヤちゃんの特徴だと思う。下がり眉を更に下げて困ったように笑う。そんなに謙遜しなくていいのに、とトイロは思う。人に優しくできるっていうのは凄いことだ。
「うん、大丈夫。私がやるよ」
 転校して来て数週間経ってもミヤちゃんの口癖は減らなかった。寧ろ日に日に増えていくような気さえする。
 ミヤちゃん大丈夫かな。
 最初は皆と仲良くなるために会話のきっかけを探すのに色々頑張っているのかとも思ったけれど、どうやら違うらしい。春夏ちゃんみたいに天性のお節介焼きなんだろうか、それにしてもこなす雑務の量がおかしい。
「大丈夫……?」
 桜君が心配そうにミヤちゃんに声をかけているのを見たことがある。それでも彼女は控えめに笑っていた。優しくて大人しいお友達。
「なんで十色がむくれた顔してんの?」
「べっつにー」
 雪道くんに指摘されてトイロは少しだけ嘘を吐いた。雪道くんにもまだ、この感情の正体を言えなかった。
 正直トイロにだってよくわからない。なんだろう、この。

「ねぇ、ロビンちゃん。どうしてだろうね?」
 ロビンちゃんは中学に入るよりも前に近所のお兄ちゃんがくれた。お兄ちゃんはプログラムに巻き込まれて死んじゃった。小さいノート一冊と手作りのロビンちゃんを置いて、トイロの前からいなくなってしまった。
「ね、ロビン……お兄ちゃん……」
 もしもプログラムに巻き込まれたら。お兄ちゃんがいなくなってから、あのノートを手にしてから、ふとした瞬間に何度もあの真っ赤なページを思い出す。可能性は宝くじが当たる可能性よりも低いって聞く。でももしも、もしもだよ?
 目の前が一瞬真っ赤になったような、気がした。


 ガラッとドアが開いてミヤちゃんが教室に入ってきた。今まで考えていたことが一気にはじけ飛んで、色んな感覚が眠りから覚めたかのように蘇る。グラウンドの方からサッカー部が「ラスト一周ー!」って叫ぶ言葉が聞こえる。あぁ、いま放課後だったっけ。
「ミヤちゃん!」
 トイロがそう呼ぶとミヤちゃんは一瞬だけ驚いて、そのあと「なぁに?」ってふんわりと微笑んだ。ミヤちゃんはミヤちゃんなのに、ミヤちゃんって呼ぶと少しだけ驚いた様子を見せる。『ミヤ』ちゃんは『シンヤ』ちゃんじゃないのに。それがトイロには少し不思議だった。
「どうしたの?」
「あっ、教室に忘れ物しちゃって……」
 そう言ったあとミヤちゃんは困ったような笑顔を崩さないまま肩に届きそうな髪をくるくると弄った。何か言いたそうな、控えめな視線。
「……かと」
「え?」
 小さく呟いた言葉に思わず聞き返す。
「……あんまりぼうっとしてるから、寝てるのかと思った」
 くすっと笑ったミヤちゃんは可愛くって、初めて真正面から笑顔を見たような気がして、トイロはとっても嬉しかった。でもそれと同時に少しだけ胸が苦しくなった。
 あぁ、多分トイロは。

 教室を出て行くミヤちゃんを笑顔で見送った。笑うと凄く気持ちがいい。
 トイロはミヤちゃんに笑って欲しいんだ。もっともっと仲良くなって、笑っているミヤちゃんが見たい。


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