唸るようなセミの鳴き声が響く。屋内にいても、ずっと聞こえてくる。みんみんみんみん、みんみんみんみん。やめて欲しいさ、その声だけでのぼせてしまいそうだった。青い空に連なる白い雲がぴかぴか光っていてまともに外も見られなかった。暑い。 英が思い出したように「祭りに行きたい」だなんて言うから、わたしもはちくんもびっくりして思わず顔を見合わせた。はちくんが「なんかあったかぁ?」って尋ねると「宮古にも色々あんの」って悪戯っぽく笑った。そういえば明日からお祭りだったっけ。 「全くあずさも突然だな」 「そうだね。お祭りなんて、もうしばらく行ってないさー。何撮ろうかなぁ」 「はははっ、ゆきじちゃんは本当にカメラが好きだなぁ」 はちくんが笑うといつの間にかわたしもつられて笑っていて、なんだか楽しい気分にさせられる。明日は久しぶりに浴衣でも着て行こうかなってなんとなく思った。 はちくんは変わった人だった。癖の強い英と一緒にいて平気なんだから相当器が大きいかずれてるかのどちらかなんじゃないかって勝手に思っていたけれど、その考えは意外と的外れではなかったこと後にを知る。 「ぼかぁ忘れないよ」 そう言ったはちくんはきっと着ていたシャツの柄も太陽のにおいも手のひらの温度も全部、全部覚えているのだろう。わたしははちくんの笑顔を忘れないように、じっと見つめる。とろりと下がった目元はやさしくて、こんな風に物を見る人がいるんだなと思った。わたしにはないレンズを持っている人。それと同時にこの人にはフィルムなんて必要ないと思い知る。 長い指、親指と人差し指を重ねて作るカメラのフレームは、息を忘れるくらい綺麗だ。 はち君と英、二人の関係が好きだった。ぜんぜん違うタイプに見えるけれど、たくさん話してきちんと向き合うところがいいなぁって思う。べたべた甘たるくなくて落ち着いていて、一緒にいて安心できた。 でもこの居心地の良さもいつかはなくなってしまうのだろう。それがクラス替えのときか卒業してからか、もっと先のことなのかもしかして突然来るのかもまだわからないけれどさ。いつかそんな日が来ても、わたしはきっと拒めない。子どもみたいに駄々をこねて引き止められない臆病なわたしは黙ってカメラを握る。芽村はこんなときだけ物分りの良い芽村になる。白々しい。 君 に 秘 密 で カ ウ ン ト ダ ウ ン 愛良八千代、初めて聞いたときは女みたいな名前だと思った。宮古もあんまり人のこと言えないけれど。左右にはねたやわらかい髪と下がった目尻、あだ名が「ハチ」って時点で犬みたいな奴って思ったけれど、その印象は今でもそんなに変わらない。大ざっぱで無頓着そうに見えるのに、他人の感情に敏感でよく食べてよく喋ってなんか祈ってる。あと愛良の作るホットケーキは美味い。 「あんた神様なんて信じてるの?」 「隣人よ、祈れば救われるものもあるんだぜぇ?」 奴はそうやって俺たちに一番やさしい輪郭を見せつける。 最初に会ったときは背なんて大差なかったはずなのに、いつの間にかにょきにょきと伸びて、いつの間にか愛良を見上げるようになっていた。大きくごつくなった手は、低くなった声は、昔の面影を残さずどんどん育つ。あいつが育つのに水も日光も必要ない。眩しい。 ねぇ、知らないだろう愛良。写真家は忘却が何よりも怖いんだって。忘れてなかったことになってしまった過去があるって事実だけで不安定になれるどうしようもなく馬鹿な生き物なんだよ。 祭りで会った愛良は気分良さそうに笑っていた。元々こういう祭りの類が好きな人種だからかもしれないし、いい感じに盛り上がった場の雰囲気のせいかもしれなかった。浮ついた騒音があちこちで沸いていて、誰も宮古たちの会話なんて聞いていない。 「たまには祭りもいいだろう?」 「あっは、下駄なんて履くの久しぶりだよ」 「足も黒かったんだ、爪」 「まぁね」 そう言えば素足で外に出るなんて滅多になくて、思っていたよりも涼しかった。昼間より気温も下がって歩きやすい夜だった。生ぬるい風が心地いい。 「来年も三人で来られたらいいなぁ」 「ごめん宮古来年は彼女と行くから」 「はっ?あずさ彼女いたの!?」 「永久」 「とわはだめ!!」 「あっは、嘘だって。父親かよ」 本気にして怒ってる愛良がおかしくて思わず笑ってしまった。宮古妹いたことないからわかんないけれど、本当シスコンだなっていつも思う。 「そういえば、ゆきじちゃんは……」 「あれじゃない?」 芽村はというとあまり会話には加わらず祭りに来ていた友人や屋台、風景を順調にカメラに収めていた。撮影しているときに周りを忘れてふらふらするのはなんだかもう仕方ないと思う。 「あ、ゆきじちゃん……!待って!」 互いの声も聞きとりづらい雑踏の中、はぐれそうになる芽村を愛良が追いかけた。宮古は持ってたカメラを黙って構える。 愛良の大きな手が芽村の細い手首を掴んだ。 はいチーズって、小さい声で言ってやった。欲しいシーンが撮れて満足だ。死んでもいいかなってちょっとだけ考えてやめた。 |