いつから夏が苦手になったのか、なんで苦手だと思うのか、正直なところ自分でも覚えていない。
 ただ私が夏を苦手だと感じるとき、ぽっかりと開いた穴のような、まだ幼かった頃の大切な思い出を忘れてしまったときのような場違いな焦燥感がまとわりつく。
 夏ってこんなにも、寂しい季節だっただろうか。

 部室に行く前に森先輩に会った。
「やっほー中村サン」
「森先輩……」
 いや、会いたいと思ってこの廊下を選んだ。私はずるい。
「これから部室行く?一緒に行こう」
「はい」
 無邪気に微笑んだ先輩の顔が直視できない。
 思わず外した視線の先にコンビニの袋が目に留まる。中身はファミリー向けに沢山入った箱アイスだ。
「……どうしたんですそれ」
「今日はあっついから、みんなで食べたいなって」
 あぁ、みんなに。何を期待していたのだろう。馬鹿みたい。
 そしてその『みんな』の中にきっと『あの人』が入っていることを知っている私は勝手に胸が痛くなる。

「部室行ったら食べよー。もうあっつくてあっつくてさ」
「そうですね」
 曖昧に笑って自分の感情を誤魔化した。自己嫌悪で動けなくなりそうだ。
「あっ中村サン一番最初に選んでいいよ?何味がいい?」
「……先輩は優しいですね」
 先輩が不思議そうに首を傾げた。ごめんなさい先輩。どうかお願いです、今はまだ気づかないでいて。

「じゃあ私、りんご味が食べたいです」
 先輩はいつも同じ方向ばかり見ている。
 まるで太陽ばかり追いかける向日葵のようだ。


僕は絶対に君を傷つけないけれど、絶対に君を幸せにはできない


 中村サンは嬉しそうな、困ったような表情で笑った。
 おれは馬鹿だから中村サンの気持ちがわからない。ごめん中村サン。心の中でいつも思う。

 暦の上だと夏ももう折り返し地点を過ぎているはずなのに、暑さはまだまだ自重してくれない。沸いた頭で何か考えろっていうのも無理な話で、正直学校が早く夏休みになってくれて良かったと思う。
「あー暑いねー……あっ、こういうときって暑いって言わないほうがいいんだっけ?」
「そんなことないですよ」
 中村サンが控えめに笑った。育ちが良いのかおれたちに遠慮しているのか、丁寧な口調は滅多なことでは崩れない。
 それもなんか寂しいよなって思っているけれど、なぜか中々言えないでいる自分がいる。
「あっつ……」
 何かを騙すようにおれは天井を仰いだ。


 例えばこんな茹だるような暑い日とか、部室へ行くまでの薄暗い廊下だとか、日が沈みかけて家に帰るまでの帰り道とか、ふとした瞬間、暑さを感じさせない冷たいアルビノを思い出す。
 おれたち新聞部の部長は肌も髪も真っ白で赤い瞳をしていた。

 変な話だけれど、おれは今までに阿坂サンから温度を感じたことがなかった。
 仕事熱心で部員思い、ちょっと生真面目すぎるくらい律儀で優しい人だってのはわかっているつもりなんだけれど、なんていうんだろう、嬉しいとか悲しいとか感情の類が掴みきれない。いつも掬えないとわかっている水を掬おうとしているような気分になる。
『森くん』
 暑さで拡散した思考は何度も何度も同じ場面を見せ付ける。
 おれの中の阿坂サンがこれ以上おれに語りかけることはない。

「……先輩?」
 気づけば、中村サンが心配そうな顔でおれを見上げていた。どうやら暑さで頭がおかしくなってたらしい。
「ごめん、ちょい暑くてボーッとしちゃって。部室行こう!部室!」
 誤魔化すように繋いだ右手があたたかいことに安堵する。そしていつの日かの夜の校舎を思い出す。
 全ての音が死んだ夜、黒一色に塗りつぶされた高い空、薄暗い校長室。

 繋いだ手の先に纏わりつくのは、覚えのない罪悪感。


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